大阪・関西万博来場記録

EXPO2025


第24回

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来場24回目 /Aug.13,Wed.

一般来場者数:175,847人

 24回目の来訪は、8月13日(水)。一人で万博へ。 来場予約は12時であったが、特にパビリオン予約もないので、仕事を一通り片付けてから、午後ゆっくりと向かうことにした。

 8月に入って起こった大きな変化として、大阪メトロ中央線で、 終点夢洲駅の一つ前であるコスモスクエア駅を出発した際に流れる車内アナウンスを忘れるわけにはいかない。

(当音声は乗客の少なかった別日時に収録したもの)

 「次は、いよいよ、夢洲です」というアナウンスが流れた瞬間に、車内が少しざわつく。 「いよいよ」などという車内放送を、おそらく誰もこれまで聞いたことがないだろう。 よくこんな放送に踏み切ったな!というのが、私が最初に聞いたときの感想である。

 このアナウンスを聞き、「いよいよだって!」と言うのは、関西外から訪れた人たち。 「いよいよやて!」と話していたら、関西人だ。このざわつきの大きさで、その日に初来場者が多いかどうかもわかる。

 8月1日は、私は万博に行っていないので確認できていないが、どうやら8月1日からこの放送が始まったようである。 また、当初は音が小さくて曲がよく聞こえなかったが、そのような指摘を受けたのか、しばらくすると、放送の音量がだんだん大きくなっていった。

 「次は、いよいよ、夢洲です The next stop is YUMESHIMA "C9",our final stop.」 「大阪・関西万博のオフィシャルテーマソング、コブクロで、"この地球(ほし)の続きを"とともに、驚きと感動に満ちた夢洲へ、さあ!行きましょう!」 とアナウンスが続いた後、テーマソングが流される(*)。
* "C9"は、夢洲駅の駅番号である。Cは中央線を表す。駅番号は、各線の起点駅を11番として順次付番されているのだが、 中央線は、当初の起点駅であった大阪港駅を"C11"、次の朝潮橋駅を"C12"・・としたため、反対側へ延伸した際、コスモスクエア駅を"C10"、 夢洲駅を"C9"とした経緯がある。
 この何とも粋な演出は、当初こそびっくりしたが、万博へ向かうわくわく感をさらに盛り上げてくれるものとして、 我々東ゲート利用者は、ありがたく、そして少し誇らしい気持ちで、毎回聴くことになる。 大阪メトロさんの英断により、我々の思い出がさらに彩られることとなった。本当に感謝である。 9月後半になると、もうあと何回これを聴けるのだろうと、寂しさがつのる放送でもあったが。

 この放送、4月の開幕当初からやってくれればよかったのに、とも思ったが、おそらく開幕後に社内会議で発案があったのだろう。 まれにみる殺人的ダイヤと、朝から深夜まで、乗客整理にあたらなければならない連日の激務の中で、 よくこのような企画を通し、実行してくださったものだと思う。現場と管理部門は違うからなどと部外者は簡単に考えるかもしれないが、 とにかく安全運行ということに、全社挙げて奮闘されていた日々に、お堅いはずの鉄道会社(しかも以前は「大阪市交通局」というお役所だったところ) がこんな茶目っ気を発揮してくれるなんて。まさに大阪らしい、人を楽しませたいというおもてなし精神。他の都市では、こんなことは出来なかっただろう。 大阪メトロさんはまた、中央線と御堂筋線、四つ橋線との乗換駅である本町駅に「ミャクミャクステーション」なるスペースをつくり、 たくさんのぬいぐるみを飾って人々の目を楽しませるなど、万博フリークの心をがっちりとつかんだ。

 この日も、「いよいよ」のアナウンスとコブクロの歌を聴きつつ夢洲に到着。夢洲駅の改札を通過したのは15時42分なので、おそらく東ゲートを入場したのは16時前頃であろう。

 先日も書いたが、この時期には、未入館の人気パビリオンに長時間並んででも入ってみようというモードに突入していた。 この日は、いつも行列の絶えない「エジプト館」(コネクティングゾーン) にそろそろチャレンジしようと思い、向かった。1時間以上の待ち時間は覚悟していたが、パビリオン到着時に表示されていた待ち時間は90分だったと思う。

 覚悟を決めて折りたたみ椅子に座って待つことにしたのだが、こういう時は、近くの人と自然に会話が発生することも多い。 30代くらいの女性と、60代くらいのそのご両親から何かを尋ねられたことをきっかけに、しばしおしゃべりをした。 私がもう20回以上来ていると話すと、今日が初めてだというその方々から、色々と質問されることとなる。 「エジプトはいつも人気なので、今日はまだマシなほうかもしれませんよ」と言うと、「じゃあ、このまま待ちます」とのこと。 「家から遠いので、今日やっと来ることができました」という彼らのご自宅は府内某市だと聞き、 「ぜんぜん遠くないじゃないですか」と私が応じる。「夜には花火もあるし、ドローンショーもあるから楽しいですよ」と教えると、 「今日は両親を連れてきたんですが、子供を旦那に預けてきたから、早く帰らないといけないんです」と、ご家庭の事情まで聞くことになったり。

 そんな時間を過ごし、入館したのは17時半過ぎ。待ち時間は90分弱程度であった。

 館外の看板にツタンカーメンが描かれており、古代文明に関する展示に期待していたが、実際は映像主体のパビリオン。 厳しい言い方をすると、期待外れであった。9月に入って、ミイラのレプリカが置かれるなど、パワーアップされていったようなので、 入った時期が悪かったのかもしれない(といってももう開幕から4か月経っているのに)。 パビリオン制覇の目的がなければ、長時間待つ甲斐はなかったかな。初めて来たご家族が、1時間以上待って入ったことを後悔していないかな? と、ちょっと心配になった。

 観覧時間は10分程度。エジプトを後にして、リング下を北上する。

 今日もアイスを食べるべく、19番柱のところのおなじみ「JR西日本グループサテライト店」にて、 スジャータアイスクリームバニラ(432円)を購入。これは、俗に「シンカンセンスゴイカタイアイス」と呼ばれているもの。 元々東海道新幹線の車内販売で扱われてきたもので、購入直後はスプーンがまったく刺さらないほど固いので、そう呼ばれるようになった。 車内販売で溶けてしまわないように、あえてガチガチに凍らせているのだ。 私は、特にコロナ前までは大阪〜東京間の移動が多かったので、何度もこのアイスを買っていたし、 ホットコーヒーと一緒に買い、固いアイスの上から熱いコーヒーをかけて、お手製アッフォガートにして食べるなど、親しんできた。 この会場内で売られているものは、ミャクミャクが描かれた特別なパッケージなので、一度は絶対に食べようと思っていた (但し、ここで売られているものは、そんなに凍ってはいない)。

 日の当たらないリング下ベンチでアイスを堪能し、時刻はもう18時半。写真等の記録が残っていないので、 この後の行動の詳細はわからないが、いつもの「風の広場マーケットプレイス」にある「好きやねん大阪フードコートWEST SIDE」で夕食を摂ったはずである。 その後、西ゲートマーケットプレイスのオフィシャルストアに向かったことは、写真が残っているのでわかる。 この日は来場者が非常に多く、入店待ちも30分近かったのではないか。 「オフィシャルストアJR西日本グループ」を出たのが、19時40分過ぎ。 ライトに照らされた「わくわくミャクミャク像」を撮影したりしていると、もう20時近くになる。花火が始まる。

 西ゲート前から、急いでリング方向へ。リング下を右折し、南下。「ウォータープラザマーケットプレイス西」の前辺りで19時57分からの「EXPO ミニ花火」を観る。 そのように明確に記憶しているわけではないが、残っている花火写真をみると、角度的にその辺りである。

 花火は約5分で終わる。20時過ぎであるが、「もしかすると、まだベタコに入れるかもしれない」と思い立ち、 進歩の広場からルーマニア、ポーランドの前を通過してシグネチャーゾーンへ。

 「ベタコ」とは、「Better Co-Being」のこと。 何となく誰かがそう呼び始めて定着したようだが、実に大阪らしい略称だ。

 ここは、慶應義塾大学教授でデータサイエンティストの宮田裕章氏がプロデュースしたパビリオン。 これまで抽選に当たらず、入ることが出来ていなかったのだが、「夜の自由観覧」と称して、閉館前の短時間に限り、 一部を見せてもらえる。パビリオンといいながら屋根も壁もなく、隣接する「静けさの森」と一体として自然を感じられる空間になっている。

 この「夜の自由観覧」には、これまでにも入れそうなタイミングはあったのだが、直前で締め切られたりして、縁がなかった。 この日は20時10分頃の到着だったが、ギリギリ並ばせてもらえた。早い決断。躊躇しない迅速な行動。 万博では、この心構えが非常に重要なのである。もちろん、事前の情報収集があってのことだ。

 吊り下げられたたくさんのクリスタルが、光に照らされて美しくも幻想的な風景をつくっており、皆一生懸命写真や動画に収めていた。 昼間に入ったことがないので比較が出来ないが、夜に入ったことは正解だと感じた。予約が必要なエリアに足を踏み入れることができなかったのは残念だが。

 ベタコを出ると、20時半。今日はドローンショーはないとのことなので、帰ることにする。 ヨルダン前からリング方向へ進み、東ゲートへ。ゲートを出てから駅まではおよそ30分。夢洲駅改札を21時02分に通過。 電車に乗り込んだのはおそらく21時20分頃だったが、途中、弁天町駅で電車はストップ。JR線に乗り換えることも考えたが、 待てば動くだろうと思い、そのまま待つ。確か15分ほどの停車の後、出発した。 無事に帰宅できたのだが、あの後、中央線が完全にストップしたことを、帰宅後に知る。 本当にギリギリのタイミングで、危機を回避できたことになる。

 そう、この日は、今回の万博における最大のトラブル発生日として、歴史に刻まれるであろう 「オールナイト万博」と呼ばれた事件が起きた日である。

 ちょうど私が乗車した21時過ぎに、大阪メトロで電気系統のトラブルが発生。中央線の運行がストップし、 駅への入場が制限されたことで、東ゲートから帰宅する人たちが地下鉄に乗車できない事態となる。 結局、運行再開のめどが立たなくなり、人々は会場内へ戻され、場内待機を余儀なくされる。 23時半頃に電車は動き出したものの、隣駅のコスモスクエアまでの折り返し運転であったため、 帰宅を諦めた人たちが会場内で夜を明かすこととなったというのが、「オールナイト万博」の概略経緯である。

 私が乗換駅の本町までたどり着くことができたのは、奇跡的。その直後には、もう大騒ぎになっていたのだから。 ただ、非常に不謹慎なことを言わせてもらうと、どうせなら帰れなくなって、オールナイト万博を経験しても良かったかな?などと思ったのも事実。 もっとも、翌日の仕事に影響するので、それはそれで大変だったに違いないのだが。

 この一件で、大阪メトロや博覧会協会が批判にさらされることになるのだが、万博に通い詰めている我々からすると、 これまで事故もなく、これだけ多くの乗客を安全に運んでくれているメトロと、様々な事象にも臨機応変に対処してくれている協会の仕事を見てきているので、 批判する気にはなれない。ただ、島で行われるのに鉄道を1本しか敷かなかった計画の甘さはあるだろう。 とはいえ、JRなど、他の鉄道会社が乗り入れ路線を作っても、閉幕後しばらくは赤字に苦しむことになるので、 最近まで「官」であった大阪メトロが単独で引き受けたのもやむを得ないことだったろう。

 オールナイト万博では、博覧会協会の対応よりも早く、いくつかの海外パビリオンが人々を受け入れ、飲食物を提供してくれるなど、 心温まる対応が見られたという。各パビリオンのスタッフこそ、職場から帰れなくなり、明日も朝から仕事だというのに、 ありったけのおもてなし精神で、来場者を安心させてくれた。 「災い転じて福となす」と言ったら失礼かもしれないが、国境を越え、人と人とのつながりこそが我々人類の財産であることが、 この万博で証明されたのではないだろうか。 また、上からの指示ではなく、人々が自主的に助け合う精神がこの大阪には根付いているのだと気づき、 誇らしい気持ちにもなった。というのはきれいすぎるまとめ方だろうか。

 但し、遠くから大阪に来てくださり、本来ならホテルに宿泊する予定だったのにもかかわらず、 会場で夜を明かすことになったり、不要なタクシー代を負担した方も少なからずいたことを考えると、今回のようなトラブルは、 決してあってはならないことであった。

(2026年5月19日記す)

EXPO 2025 / OSAKA YUMESHIMA Apr.13-Oct.13,2025