大阪・関西万博来場記録

EXPO2025


第22回

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来場22回目 /Jul.30,Wed.

一般来場者数:106,612人

 22回目の来訪は、7月30日(水)。一人で万博へ。昨日も来ているので、連博である。

 来場予約は11時。事前にパビリオン予約は何も取れていないため、午後からゆっくり。 夢洲駅改札を14時59分に通過しているので、東ゲート入場は、おそらく15時10分過ぎ頃。

 この頃になると、まだ入っていない人気パビリオンを狙っていこうという体勢に入っている。 これまで、予約の要らない海外パビリオンでも、比較的待ち時間の短い(楽に入館できる)ところを優先して回っていたが、 徐々に未入館パビリオンが少なくなり、そろそろ長い待機時間を要する所にもチャレンジしていかなければならない。

 難関パビリオンを後に残しておくこのやり方は、間違っていたのではないかと、この頃思い始める。 春先なら、アメリカあたりも時間帯によっては1時間もかからなかった。イギリスやドイツなどは、もっと短かった。 そうすれば良かったと思う反面、夏以降はそれまでそれほど人気ではなかったところまで、時間が掛かるようになってきたから、 長時間待ったあげく、内容はそれほどでもなかったということになると、ダメージが大きい。 やっぱり、私の採った方法(初期に簡単なところを効率よく回っておく)で正解だったのかもしれない。

 遠方から来る方々のように、来場日数が限られているなら、本当に観たい順に回ればいい。 でも、近くに住み、できれば全パビリオン制覇したいと思っている私のような通期パス勢は、 トータルの待機時間をできるだけ短くすることが、賢い攻略方法となる。 人気パビリオンのうちのいくつか(フランス、中国、韓国など)は、5月中に攻略できていたから、 バランスは良かったかもしれない。

 さて、この日は特にあてもなくリング下を歩いていたところ、それまで受付停止していた 「ドイツ館」(コネクティングゾーン)の前を通ったとき、 偶然にも受付開始のタイミング(列に並ぶことが許される瞬間)だったため、すかさず並ぶことにした。 この人気パビリオンに、運良く1時間程度の待機時間で、16時半頃には入ることができた。

 入館すると、同館のマスコットであるサーキュラーちゃんの形をした小さなハンディデバイスが手渡される。 これを、館内にたくさんあるタッチポイントにタッチすると、その場所の展示についての説明を聞くことができる。 しかもデバイスは解説してくれるだけではなく、様々な色にぼんやりと光るので、きれいで可愛い。

 展示自体は、マスコットの名前からもわかるとおり、循環型社会がテーマであり、再生可能エネルギーなど、 ドイツが国を挙げて取り組んでいることの説明が中心である。このパビリオンの使用資材も、基本的には全部再利用されるとのこと。

 テーマが日本館と非常に似ているのだが、結局、先進国の行き着いた先は、新たな進歩や技術革新などではもうなく (循環型社会を実現することは、技術革新ではあるけれども)、地球環境に配慮した社会への転換が求められているのである。 その意味では、もうあまりワクワクするような進歩や社会変化はないと言わざるを得ない。

 現在、先進国の多くでは閉塞感が漂い、ともすると内向き、排外的になってしまっているのには、こんな背景があるからかもしれない。 そんなことを考えさせられた。我々の日々の生活を顧みても、エネルギーの無駄遣いを止めようとか、 環境のためにレジ袋を使わないようにしようとか、プラスティックの投棄は止めようなど、 正直なところあまり希望の持てない、あまり楽しくない行動変化が求められている。

 だから、これ以上進歩というものが期待できないこんな時代に、万博をやることの意義について多くの疑問が投げかけられてもいたのだが、 むしろ、それだからこそ、これからの我々に与えられた課題について改めて認識し、 そんな中にも見いだせる希望や楽しさがまだまだあるという意識を共有し、団結を図っていくことが肝要ではないか。 そう考えれば、万博を今この日本で開いたことには、十分大きな意義がある。

 どんなに世の中が進んでも、大切なのは人であり、いのちであり、つながりである。 『いのち輝く未来社会のデザイン』という当万博のテーマは、今さらながらとても深い、時宜を得たテーマだと感じる。

 話を「ドイツ館」に戻すと、可愛いサーキュラーちゃん型デバイスを返却する際に、少しためらわれる瞬間が訪れる。 ほぼ球体のデバイスを、坂道を転がせて返却するのだ。ドイツってこんなに粗雑な国だった?と、軽い衝撃を受けるので、 私もそうだが、その瞬間を動画に収めている人がかなりいた。

 パビリオンを出ると、タイミングによっては、外のステージ上で本物の(大きな、動く)サーキュラーちゃんと写真撮影ができるので、 それを待つ人たちも多くいる。キャラクターで人を惹き付けようという戦略まで、日本と似ている。 但し、日本の場合、ミャクミャクは万博全体のキャラクターなので、日本館で独占するわけにはいかず、 その代わりにキティちゃんなどが活用されているわけであるが。

 ドイツを出た時点で、17時前。17時になると、いくつかのパビリオンで「枠開放」(入館に余裕のある分の受付開始)があるので、挑戦する。 この日は、17時ジャストに「null2(インスタレーションモード)」にチャレンジし、見事20時40分を取ることができた。 難関パビリオンに、ようやく入ることができる。

 さあ、楽しみが増えた。それまでどう過ごそうか。

 ドイツ前からリング下を西へ進み、ポップアップステージ北のところを左折し、 「空の広場」のエスカレーター下を右手に進むと、「モナコ館」がある。 ここも、いつも長い行列ができているので、若干敬遠していたが、この日は列がそれほど長くないように見えたので、 並ぶことにした。小ぶりで狭いパビリオンだから、なかなか大人数を捌けないように見受けられる。 モナコって小さい国だからなあと、関係ないけど妙に納得する。

 40分程度並び、「モナコ館」に入館。 1階では国の美しい映像が流れているが、狭いので、すぐに見終えてしまう。2階ではVR体験ができるとのことだったが、 待ち時間が1時間ほどと言われたので、断念。そのまま外に出ると、狭いながらも庭園になっている。 また、小さな別館があり、こちらは地中海の生物に関する美しい展示。

 こぢんまりとしたモナコを出ると、もう18時近く。すぐ南隣にある「夜の地球」へ。 ここはもう2度目か、3度目か。いつも待ち時間なく入ることができるし、何度観ても有意義なパビリオンである。 今日も輪島塗の地球儀や世界の都市地図と対面。

 夜の地球を出ると、リング下を西方向へ。西ゲート前を通り過ぎ、風の広場マーケットプレイスのおなじみ「好きやねん大阪フードコートWEST SIDE」へ。 今日の夕食は、温玉カレーと缶ビール。相変わらずジャンキーで、しかもふだん食べるものと変わらないメニュー。 手早く、安く食べようと思うと、こうなる。飲食店はどこも混んでいる時間帯ではあるが、ここのフードコートなら、少し待てば空く。


 食事を終え、19時過ぎに外に出る。風の広場に大阪市役所前から引っ越してきた寝そべり姿のミャクミャクの写真を撮ったり、 フューチャーライフゾーンのギャラリーWESTで行われていた展示を見たりして、19時半頃まで過ごす。

 実は7月19日から8月いっぱいまで、毎夜「EXPO ミニ花火」が行われていて、 この日はちょうど時間も開いているので、いのちパークまで10分近く掛けて移動。 19時57分打ち上げ開始。人が非常に多いが、なんとか観ることができた。

 「null2」の予約は20時40分だったが、20時20分と勘違いして、花火観覧後、すぐにシグネチャーゾーンの同館前に行く。 結局、30分以上待機することになったが、無事20時40分入館。

 ここはたいへん人気のパビリオンだが、「インスタレーションモード」のほうがわりと取りやすく、私はこの日の後、さらに2度入ることになる。 もう一つの「ダイアログモード」には、閉幕までついに入ることができなかった。両方体験してワンセットだと思うので、実に残念。

 「null2(ヌルヌル)」を理解するためには、 少し予備知識が要る。nullとは、コンピュータ用語で「何もない」こと、「空値」を意味する。 言い換えれば「無」である。2乗になっているのは、即ち null×null であるが、「無」と「無」を掛け合わせると「有」が生まれることを暗示している。 これは、仏教の般若心経における「空即是色」(形のないものは、即ち、形あるもの)と同意味である。

 他方、現代物理学で、物質の根源を分子、原子、とたどっていくと、クォークなどの素粒子に行き着いたのだが、 素粒子は測定により粒子として振る舞う場合もあり、波動として振る舞う場合もあるという。 それ以上分割できないエネルギーの塊のような存在であり、言い換えれば「無」である。 この物質世界は「無」からできているという、最先端科学の行き着いた先に至った結論は、般若心経の思想に通ずる。

 同館のプロデューサーである落合陽一氏は、コンピュータのつくる空間で生まれる世界を「計算機自然(デジタルネイチャー)」と呼んでいる。 何もないところに創出される世界を指していると思われる。我々が暮らす世界が「無」から生まれた「有」だとすると、 機械が生み出すサイバー空間もまた一つの世界である。インスタレーションモードは、コンピュータの創出する空間における非言語体験が我々の精神を刺激して、 各自がそこに意味を構築する、換言すればそこに世界の「構造」を見いだす儀式のようなものではないか。

 哲学の一分野である「構造主義」は、この世界を実存として捉えるのではなく、「構造」として理解する。 構造主義のベースには、ソシュールを祖とする記号論(言語学)がある。 記号(signe=シーニュ)としての言語は、音であるシニフィアン(signifiant)と、概念であるシニフィエ(signifie) からなり、対象を指し示すために、概念と音とを結びつけた「記号」を用いる。 その「構造」を通じて世界を理解するのが構造主義であり、いわば「ことば」が世界を構築している。

 この構造主義への批判として生まれたのが「ポスト構造主義」である。世界は単純な構造で出来上がっているのではなく、 それ自体を疑ってみようということである。記号としての言語で理解した世界を、もう一度疑うことである。

 null2 のダイアログモードでは、我々が世界を捉えている言葉を捨ててみようという意味で、 「きごうをてばなして、ヌルにもどろう」 という呪文が唱えられる(*)。 言葉にとらわれずに、本質を見ようという姿勢は、ポスト構造主義における「脱構築」に通ずる。それはまた、般若心経における「色即是空」(形あるものは、即ち、形のないもの) を暗示しており、仏教で悟りをひらくこと(今ここ = now here の体感(**))に通ずる。計算機自然においては、ヌルに戻ることで永遠の「いま」を生きることができる。
* 石黒浩氏のシグネチャーパビリオン「いのちの未来」で、1000年後の未来として示された、 身体という「構造」の呪縛から解き放たれたアンドロイドも、ヌルに戻れと語りかけているのかもしれない。
** 後悔は過去にしかなく、恐怖は未来にしかない。"いま"にそれらはなく、すべて幻想である。

 このパビリオンを体験した人たちの感想として、意味はよくわからなかったが、なぜか心を揺さぶられたといった声がある。 我々は言葉によって世界を理解するとともに、その言葉に縛られている。一度、その制約から離れてみよう、 そうすれば、何か本質にたどり着くかもしれない。それが、落合氏からのメッセージだと、私は受け取った。

 同館を出ると、もう21時。今日は悪天候でドローン飛行は中止と発表されていたし、時間的にも One World, One Planet.も終了する頃なので、 そろそろ帰ることにする。チェコやマルタの前を通り、トルクメニスタン前の調和の広場からリング下を左折、北上し東ゲート方向へ。 夢洲駅改札を21時31分に通過し、帰路についた。

(2026年4月26日記す)

(2026年5月2日一部修正加筆)

EXPO 2025 / OSAKA YUMESHIMA Apr.13-Oct.13,2025